約月収20万円の場合の失業保険の給付額はどれぐらいでしょうか?
雇用保険は3年以上払っています。
年齢は43歳です。
雇用保険は3年以上払っています。
年齢は43歳です。
失業保険の給付の計算は非常に複雑ですので
今ここで幾らと曖昧な回答は出来ません
退職理由に拠っても違いますので
目安でであれば自動計算ソフトが在りますので
そちらで試して見られることをお勧めします
最終的にはハローワークで手続きをした後に
正確な受給期間や.金額が出ます
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最終的にはハローワークで手続きをした後に
正確な受給期間や.金額が出ます
北海道を出て仕事するにはどうしたらいいのですか。どう仕事を探すのかや手続き、住むところをどう探せばいいですか
その方がとることができる行動範囲、時間、費用などの状況による部分が大きいので、必ずしもこうしなければならないというものではありませんが、イメージを付ける意味合いで書きます。
・インターネットで首都圏エリアでレオパレスを探す。そこへ移り住む。
・その新しい居住地域のハローワークに行く。
(もしくは、就活サイトで案内されている合同企業説明会や会社説明会に参加する。)
・内定を取った後、新しく住む居住地を探す(場合によってはその会社の寮となります)
・新しい居住地が確定したところで、その地域の市役所に行き、住民票を移す手続きを行う。
・インターネットで首都圏エリアでレオパレスを探す。そこへ移り住む。
・その新しい居住地域のハローワークに行く。
(もしくは、就活サイトで案内されている合同企業説明会や会社説明会に参加する。)
・内定を取った後、新しく住む居住地を探す(場合によってはその会社の寮となります)
・新しい居住地が確定したところで、その地域の市役所に行き、住民票を移す手続きを行う。
この先が不安です。私は大学を1年留年して今年卒業して既卒になりました。
偏差値も普通で無名の女子大出身です。23です。
私は大学卒業が第一優先であることや親に学費も出してもらっていたので留年してから就活を全くしてませんでした。(また留年や中退出来ないから)
留年前は食品系や小売の仕事を中心(スーパー)に受けてました。
3月で卒業が確定してハローワークに相談しに行ったのですが自業自得なのは承知ですが留年の話をして泣いてしまいました。
(ハローワークの人にも暗い子は会社の面接で採用したいと思わないと嫌な顔されてしまいました。)
やはり自分が留年したことにネックになってしまって前向きな気持ちで就活出来ません。
ただ、留年した際に中退も考えましたが残り2単位の卒業研究だけだったので留年したけどちゃんと卒業してよかったと思えてます。
アルバイトもコンビニ2年やり今はスーパーで1年半(社会保険あり)ほど働かせてもらってます。
周りの友達は「東京だし地方に比べたら求人はたくさんあると思うよ」とか「うちの会社にも留年した人いるけどちゃんと働いてるからそんなに世間の目って気にしなくて大丈夫」とか言ってくれます。
ですが私の性格上あまりしっかりしていない部分がありスーパーの副店長にも「もうちょっと仕事出来てくれればないいんだけどな~」と言われたこともあり自信がありません。
けれど1度は正社員として社会の中で生きていく力を養っていけるようになりたいし親に少しずつ学費を返したいです。
就活に前向きになれないけどパートでレジやってるだけではただただ時間が過ぎていくだけです。
恋人もいましたがやはり就職が理由で2回フラれました。
若いときは大学出て就職して結婚してっていう一般的な理想がありました。
今は大卒のフリーターで落ちこぼれでしかありません。
こんな私でもやれば就職できるんでしょうか?
「留年して既卒した人間なんて誰も採用したいと思わない」と会社を経営して面接官もしている父親に言われました。
偏差値も普通で無名の女子大出身です。23です。
私は大学卒業が第一優先であることや親に学費も出してもらっていたので留年してから就活を全くしてませんでした。(また留年や中退出来ないから)
留年前は食品系や小売の仕事を中心(スーパー)に受けてました。
3月で卒業が確定してハローワークに相談しに行ったのですが自業自得なのは承知ですが留年の話をして泣いてしまいました。
(ハローワークの人にも暗い子は会社の面接で採用したいと思わないと嫌な顔されてしまいました。)
やはり自分が留年したことにネックになってしまって前向きな気持ちで就活出来ません。
ただ、留年した際に中退も考えましたが残り2単位の卒業研究だけだったので留年したけどちゃんと卒業してよかったと思えてます。
アルバイトもコンビニ2年やり今はスーパーで1年半(社会保険あり)ほど働かせてもらってます。
周りの友達は「東京だし地方に比べたら求人はたくさんあると思うよ」とか「うちの会社にも留年した人いるけどちゃんと働いてるからそんなに世間の目って気にしなくて大丈夫」とか言ってくれます。
ですが私の性格上あまりしっかりしていない部分がありスーパーの副店長にも「もうちょっと仕事出来てくれればないいんだけどな~」と言われたこともあり自信がありません。
けれど1度は正社員として社会の中で生きていく力を養っていけるようになりたいし親に少しずつ学費を返したいです。
就活に前向きになれないけどパートでレジやってるだけではただただ時間が過ぎていくだけです。
恋人もいましたがやはり就職が理由で2回フラれました。
若いときは大学出て就職して結婚してっていう一般的な理想がありました。
今は大卒のフリーターで落ちこぼれでしかありません。
こんな私でもやれば就職できるんでしょうか?
「留年して既卒した人間なんて誰も採用したいと思わない」と会社を経営して面接官もしている父親に言われました。
まず「大学は卒業しておいて良かった」という点は間違いありません。中退などしていたら、それこそ、それまでの努力が水の泡です。
そして「若さ」がありますので、十分に勝負できます。
せっかく卒業した大学を「無名」などと言ってはいけませんよ。
私は、25歳前後までは、パチスロ店、結婚式場、イベントスタッフ、製パン工場や機械加工工場、中華料理店、スーパー(ダイエーの生鮮)等を転々としていました。
私も自慢できるような大学は出ていません。
また、当時これといって「やりたいこと」など無く、社会人として、大人として働かなければいけないと思って、ただ何となく生活のために働いていました。
転機となったのは、24歳から25歳のときでした。
バイト仲間から「簿記」というものを聞いて知りました。
高校は普通科でしたので「ボキ?」って何?の状態で、簿記とはから調べて「なるほど(会社が)儲かった損したの数字を出す手法か」ということを知り、そこで市販の書籍で簿記の勉強を始めました。
そして簿記を知ってから6ヶ月後の11月に日商簿記2級と全経簿記1級に合格できたので、ハロワで見つけた個人の税理士事務所へ見習い扱いで入所しました。
勉強していると・・・ウトウトと眠たくなりましたよ。シャーペンで足をチクチク刺しながら勉強しました。
ようやく、やってみようと思う仕事を見つけて就いたわけです。
しかし、現実は違いました。
確かに簿記会計のことを学びながら実務(補助)は出来ました。担当も任せてくれました。イタ飯屋、電気工事会社、宝石店、生花店、贈答品卸業者等を担当して会計入力だけでなく記帳指導に回ったりしました。
ですが・・・「おカネ」に困りました。大学卒業後も、地元を離れたまま一人暮らしをしていたのですが、とにかく賃金が安くて、日々生活するだけで精一杯、とても税理士資格の勉強どころではなかったです。
「おカネが大事」「おカネがないとやりたいことも出来ない」そう強く感じて、おカネも無かったもので、簿記と同じく市販の書籍で勉強して「稼げる」資格は無いかと調べて、辿り着いたのが「宅建:今年4月から宅地建物取引士」でした。
給料水準の高い不動産業界。
らくらく宅建塾というシリーズ本を中心に、8月から10月の第3日曜の試験日まで必死で勉強しました。
そして、試験当日は、精神的に追い詰め過ぎたのか、吐き気でオエオエしながら受験。
しかし、1回の試験で合格しました。愛知学院大学が試験会場でした。
他に、宅建を取得した年の3月(宅建よりも前)に建設業経理士2級を受験して取得していました。
ですので、24歳から25歳(26歳手前)までの間は、フリーターをしながら簿記と宅建の勉強の日々でした。
それまでは運転免許くらいしか資格などは持っていませんでした。
当時の彼女には、職業不安定でしたし、おカネも無く去って行かれました。。。
彼女は短大卒後に、公務員(保育士)になっていましたので、不安定な私では駄目でした。
宅建を取ったので、26歳手前の25歳で東証一部上場の不動産会社へ正社員として転職しました。
おカネには困らなくなりました。
管理業務主任者という国家資格も取得し、また社内で取得必須だった損害保険募集人資格(三井住友海上火災に登録)や少額短期保険募集人資格を取り、法律と数字を武器に5年半の間、不動産営業マンをやりました。
しかし、営業=ノルマのある仕事は長くは続かないなぁ。。。と感じて、退職して、とうとう地元へ帰って来ました。
今は、従業員1,500名程の規模の物流会社で経理職兼総務職をしています。
人口10万人程度の田舎街にはコレと言ってまともな仕事もなく、地元では優良企業を呼ばれている今の会社の3交代の作業員の募集を受けたところ、「経理はどうですか?」と言われて、3ヶ月更新の契約社員の経理職となりました。
そこから、正社員になるために税理士試験科目の簿記論と財務諸表論を取得してアピール、会社側から正社員になるには運行管理者(貨物)と第一種衛生管理者の2つの国家資格を取りなさいと言われて、受験・合格・行政機関に有資格者として会社側が届出登録して、1年8ヶ月後ようやく男で事務系正社員になりました。
女性社員の中には通関士や社労士取得者もいます。
今は、とても気楽に働いています。勤めてもうすぐ7年目です。
ここまで来て分かったことですが、
やはり「芸(技)は身を助ける」ということです。何かしらの技・技能を手に職として生きることで、何かしらの先が見えてくるものです。やはり「努力」と「必死さ」でしょうか。
今は、世知辛い世の中で、みんな、ごく普通の幸せでも手に入れるのに苦労する厳しい時代です。
そこで、私は法律と数字を武器(技)にしました。
23歳ですよね。まだまだこれからですよ。大丈夫、大丈夫。
気づいた今、ここからですよ。
そして「若さ」がありますので、十分に勝負できます。
せっかく卒業した大学を「無名」などと言ってはいけませんよ。
私は、25歳前後までは、パチスロ店、結婚式場、イベントスタッフ、製パン工場や機械加工工場、中華料理店、スーパー(ダイエーの生鮮)等を転々としていました。
私も自慢できるような大学は出ていません。
また、当時これといって「やりたいこと」など無く、社会人として、大人として働かなければいけないと思って、ただ何となく生活のために働いていました。
転機となったのは、24歳から25歳のときでした。
バイト仲間から「簿記」というものを聞いて知りました。
高校は普通科でしたので「ボキ?」って何?の状態で、簿記とはから調べて「なるほど(会社が)儲かった損したの数字を出す手法か」ということを知り、そこで市販の書籍で簿記の勉強を始めました。
そして簿記を知ってから6ヶ月後の11月に日商簿記2級と全経簿記1級に合格できたので、ハロワで見つけた個人の税理士事務所へ見習い扱いで入所しました。
勉強していると・・・ウトウトと眠たくなりましたよ。シャーペンで足をチクチク刺しながら勉強しました。
ようやく、やってみようと思う仕事を見つけて就いたわけです。
しかし、現実は違いました。
確かに簿記会計のことを学びながら実務(補助)は出来ました。担当も任せてくれました。イタ飯屋、電気工事会社、宝石店、生花店、贈答品卸業者等を担当して会計入力だけでなく記帳指導に回ったりしました。
ですが・・・「おカネ」に困りました。大学卒業後も、地元を離れたまま一人暮らしをしていたのですが、とにかく賃金が安くて、日々生活するだけで精一杯、とても税理士資格の勉強どころではなかったです。
「おカネが大事」「おカネがないとやりたいことも出来ない」そう強く感じて、おカネも無かったもので、簿記と同じく市販の書籍で勉強して「稼げる」資格は無いかと調べて、辿り着いたのが「宅建:今年4月から宅地建物取引士」でした。
給料水準の高い不動産業界。
らくらく宅建塾というシリーズ本を中心に、8月から10月の第3日曜の試験日まで必死で勉強しました。
そして、試験当日は、精神的に追い詰め過ぎたのか、吐き気でオエオエしながら受験。
しかし、1回の試験で合格しました。愛知学院大学が試験会場でした。
他に、宅建を取得した年の3月(宅建よりも前)に建設業経理士2級を受験して取得していました。
ですので、24歳から25歳(26歳手前)までの間は、フリーターをしながら簿記と宅建の勉強の日々でした。
それまでは運転免許くらいしか資格などは持っていませんでした。
当時の彼女には、職業不安定でしたし、おカネも無く去って行かれました。。。
彼女は短大卒後に、公務員(保育士)になっていましたので、不安定な私では駄目でした。
宅建を取ったので、26歳手前の25歳で東証一部上場の不動産会社へ正社員として転職しました。
おカネには困らなくなりました。
管理業務主任者という国家資格も取得し、また社内で取得必須だった損害保険募集人資格(三井住友海上火災に登録)や少額短期保険募集人資格を取り、法律と数字を武器に5年半の間、不動産営業マンをやりました。
しかし、営業=ノルマのある仕事は長くは続かないなぁ。。。と感じて、退職して、とうとう地元へ帰って来ました。
今は、従業員1,500名程の規模の物流会社で経理職兼総務職をしています。
人口10万人程度の田舎街にはコレと言ってまともな仕事もなく、地元では優良企業を呼ばれている今の会社の3交代の作業員の募集を受けたところ、「経理はどうですか?」と言われて、3ヶ月更新の契約社員の経理職となりました。
そこから、正社員になるために税理士試験科目の簿記論と財務諸表論を取得してアピール、会社側から正社員になるには運行管理者(貨物)と第一種衛生管理者の2つの国家資格を取りなさいと言われて、受験・合格・行政機関に有資格者として会社側が届出登録して、1年8ヶ月後ようやく男で事務系正社員になりました。
女性社員の中には通関士や社労士取得者もいます。
今は、とても気楽に働いています。勤めてもうすぐ7年目です。
ここまで来て分かったことですが、
やはり「芸(技)は身を助ける」ということです。何かしらの技・技能を手に職として生きることで、何かしらの先が見えてくるものです。やはり「努力」と「必死さ」でしょうか。
今は、世知辛い世の中で、みんな、ごく普通の幸せでも手に入れるのに苦労する厳しい時代です。
そこで、私は法律と数字を武器(技)にしました。
23歳ですよね。まだまだこれからですよ。大丈夫、大丈夫。
気づいた今、ここからですよ。
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